ホリデー西ケ丘 Vol.139

f:id:holidaynisigaoka:20200218111226j:plain

ホリデー西ケ丘No.139

 

ホリデー西ケ丘 Vol.139

(このウエブマガジンは職場内の多くのサポーターによって、細く長くをモットーに不定期、月に1~2回を目安に制作されています)

 

 

●夜明けのアヒル(編集部)

児童虐待というニュースを聞くほど不快なことはありません。無力な幼い命を翻弄する大人、それが親というなら何のためにその命は生まれたのかと問いただしたくなるのです。最大限の力を持って守り育てる立場の人間が、暴力でその命を翻弄するなど到底理解できないのです。

 

それは他者が想像する以上に子供に恐怖と絶望を与えることでしょう。それを「親が受けた負の連鎖」とか「しつけの延長」とかの口実を聞く時のやり切れなさ。そんな言い訳が通用すると思っているのかと叫びたくなるのです。心の病、想像力の欠如など理由をいくらあげても、子供が抱いた恐怖と絶望を治癒することにはなりません。

 

他者が感知し保護し救済できた子供は幸いです。社会がそのシステムをより高度化し保護する力をつけなければなりません。加害者としての大人たちを生み出さないために、私たちにできることはあるのでしょうか。DV:それは集団内に一定の比率で発生してしまう「創造主の秘めたる悪意」なのでしょうか。親が手にするこの「加害性」を子供達に及ばせないための社会的な工夫が、切実に求められるのです。

 

 

 

ーーーーCONTENTSーーーー

 

1、ニューフェイス

 「スポーツ写真趣味」

  ゆきセルリアン

 

2、私も一言

 「名産品」

 カーマイン神山

 

3、私も一言

 「にわかラグビーファン」

  春夏秋冬

 

4、私も一言

 「温暖化は阻止できるのか」

  北斗七星

 

5、私も一言

 「自転車をリペアする」

  さんざクロス

 

6、私も一言

 「シニア的風景」

  六花ビリー

 

7、シネマフリーク

 「オデッサファイル」

  シネマ二郎

 

8、時計仕掛けのりんご

 「美空ひばりを蘇らせる技術」

  鈴木義延

 

 

 

________________________

 

1、ニューフェイス

 「スポーツ写真趣味」

  ゆきセルリアン

f:id:holidaynisigaoka:20200218111349p:plain

望遠レンズカメラが必需品



「ホリデー西ケ丘:シーズン2」、2020年度より編集部へ参加させていただきます。よろしくお願いいたします。

 

私はある時期カメラに熱中していました。カメラ趣味と言ってもいろいろありますが、私は「スポーツ写真」に入れ込んでいたんです。スポーツの種目はバレーボール。お目当の選手のベストショットを撮るために、メンズスポーツ写真趣味カメラ集団と肩を並べ、時には割り込んで、超望遠をしっかりした三脚の台座に構えてその瞬間を狙う、という作業に長い時間と労力を費やしていました。

 

デジカメの時代ではなくネガフィルムですから、現像と台紙へのプリントを含めるとかなりな経費がかかったのです。でも最後に手元に届くプリントを眺める時間の密度は、今の時代とは全く異質のものだったと思います。

 

速いシャッタ速度で狙うため必要な高感度フィルム(ASA-1000)、つまりこれも割高なフィルムです。それでも一本のフィルムカートリッジの中に使えるショットが1枚あればいい方で、スポーツ写真というのはとてもロスも大きく、そして難しい分、やりがいがありました。

 

現在はもっと気軽にスマホなどで身近なスナップを撮ったりしますが、スポーツ写真を撮っていたあのテンションはもうありません。

 

私にとっての写真は「瞬間の美、躍動感」であって、静的な造形美、自然描写などには興味が向かないのです。

 

スポーツシーンの周りにはそんな、「困難な瞬間」を狙う人たちがそれなりにいまして、今でもその姿を見ると体の芯が熱くなることがあるんです。いいスポーツ写真を見ると、その背景やそれに至る時間を思って、いつまでも眺めていられます。

 

映画や社会問題にも興味がありますので、そんなコメントも載せていただけたらと思います。

 

 

________________________

 

2、私も一言

 「名産品」

 カーマイン神山

f:id:holidaynisigaoka:20200218111517p:plain

茨城の干し芋



茨城県は「干し芋」の産地です。私は「干し芋」が好物ですので、シーズンになるとかなりまとめ買いして味わうのですが、昨年は、あの雨台風の連続で、生産がずいぶん落ち込んでしまったようです。品薄になったり値段がやや高騰したりで、今年は手に入れるのに意外と苦労したのです。

 

栃木県のイチゴや宇都宮の餃子など、名産品にはそれぞれの由来があり、その土地の気候や風土なども影響して、そこでこその一品というものがあって、それを味わうのは日々の楽しみです。

 

栃木県は日本列島の真ん中に位置して、南向けの産物も北向けの産物も両方生産できるようですけど、その分、個性がないとも言われたりします。でもそれは利点だと思います。イチゴなど、これはという品を味わえて、なんだか得した気になるのです。

 

とにかく、茨城の干し芋は、今年は手に入れるのにずいぶん手間がかかってしまいました。しっかり確保しましたけれど。

 

 

________________________

 

3、私も一言

 「にわかラグビーファン」

  春夏秋冬

f:id:holidaynisigaoka:20200218111641p:plain

にわかラグビーファン



多少旧聞になってしまいますが、私にとっては身の丈に合わない企て、昨年の秋、10月20日、ラグビー第4戦、南アフリカとの試合を、町のカフェバーで観戦する、という計画を知人と立てたのです。ラグビーの大会が日本で行われるということで、毎週その試合が放映され、それを見ているうちに私もファンになってしまいました。ルールも全く知らないのですけど、いきなり増えたというその「にわかファン」の一人です。

 

男性たちが、私はあまりああいう「男男」した男性というのは、あまり、縁がなかったというのもありますけど、あまり懇意になろうと思ったことは、ありません。どちらかというと華奢なくらい、今でいう「草食系」の男性とのおつきあいが多かったように思うのです。

 

ですけど画面を見ているうち、あの、ごつい男性たちが、まるで子どの追いかけっこみたいに必死に走り、逃げ惑い、飛びつき抱き合う姿が、なんだかとても微笑ましく見えてきて、ファンになってしまったんです。画面を見ながら大声を出し興奮してしまいました。

 

私の家族は全く誰もそれに興味を抱かず、騒いでいるのは私だけ。なんだかとてもさみしい思いをしたのです。

 

誰かとこの思いを共有したい、この熱い気持ちをより扇いで騒いでみたいと思うようになりました。そこで同じように「にわかファン」になった友人をそそのかし、中年女性二人で町にあるというスポーツ観戦バーに、10月20日第4戦を鑑賞するためにゆくことにしたんです。日本チームの正念場、絶対その日は盛り上がるに違いない、大興奮の時間になるに違いないという確信がありましたからね。

 

そこで何軒かネットで探して行ってみたのです。十分気合を入れ、準備をして。

 

ですけどなかなかちょうといい場所が、あるようでないんです。パブリックビュー。そこそこファンに名の通ったところは会員制であったり予約制であったり、新参者は入れないんです。ウェアが揃っていないとダメだとか、最低限の知識や選手名を知っている人たちだけの集まりだとか。

 

そしてようやく入れた場所も、どこかよそよそしくて、ただカラ騒ぎばかりが目につくような。よくニュースなんかで取り上げられるフレンドリーでアットホームな場所など、そうたやすくないんですね。あれはメディアが振りまいている幻影かもしれません。

 

そこで、とりあえずようやく入ったお店で最後まで過ごしたのですけど、現実というものの裏側を見てしまったような、やや興ざめの印象を持ってしまいました。自分が求めるものを得ようとするのなら、コツコツそのための時と場所、そして演出とネットワーク、人脈をしっかり仕込み演出し、その舵取りを人に任せずに掴んでおくこと。そんな必要を感じたんです。

 

無論そんなことに入れ込む時間も労力もありませんから無い物ねだりなんですけど、そうでもしないと目的にたどり着けない、そんな気がしました。

 

試合結果は残念でしたけど、ここまで私を楽しませてくれたラグビーに感謝!これからも見てみたいと思わせてくれたのです。町で共に騒ぐ試みは失敗しましたけれど。これにめげず、これからは事前にもっとしっかり情報を集めて、空振りのないアプローチにしたいと思います。それまで興味が続けばの話ですけど。

 

 

________________________

 

4、私も一言

 「温暖化は阻止できるのか」

  北斗七星

f:id:holidaynisigaoka:20200218111722p:plain

温暖化は阻止できるのか



「分け隔てなく、世界のあらゆる子供達に教育を!」という主張をしただけで銃撃され、一命をとりとめたマララさんは、一つのシンボルとしてノーベル平和賞を授与されました。以後も、女性を男性の従属物として貶めようとする思想に、命を張って戦っている姿が印象的です。

 

その姿とは似ているようでそうでもない、またこれはある運動のシンボルとして登場した環境活動家の「グレタ・トゥーンベリー」さん。十代の女性でありながら、大人たちが担っている現代社会全てを敵に回し、かなり攻撃的な言葉で、「金稼ぐ暇があったら温暖化阻止に邁進しろ!」と、叱咤激励する姿が伝えられています。

 

主張の内容は新しいものではありませんが、人の活動において何が一番優先するのかという問いに、「温暖化の阻止」を彼女は主張しているのです。それを「世間知らずの子供が」という冷めた扱いをする人たちと、彼女に賛同する彼女と同世代の人たちやその支持者の、対立の構図がメディアによって作られています。

 

私なども、温暖化によると思われる近年の気候変動はとても気になりますが、地球規模の、70億人という人々が自分たちの暮らしをもっといいものにしたいとせっせと活動する姿、それは当然膨大なエネルギーを消費することによって実現しているわけですが、それをやめて、石油などを消費しないでと言ってみても、とても絶望的になってしまうのです。

 

何ら具体的科学的数字を持ってそれを言うのではないんです。ただ現在の近代化、工業化、大量エネルギー消費社会が稼働してもう100年以上になるわけですけど、気候が変動し始めたと言うことはもうそう簡単にその動きと止めたり元に戻すなどと言うことが、果たしてできるのだろうかと心配になるんです。未来を守るために今全力で全ての生産活動を止めたとして、それでその動きは止められるものなのでしょうかと、途方に暮れてしまいます。

 

だからといって何もしなくていいというのではないのですけど。誰かを責めてみても、誰を名指しして追い詰めてみても、その相手は政治やその政策でどうにかなるような相手では、対象ではない気がして不安になります。

 

若い女性をシンボルにかつぎあげるのは人類史的発想なのでしょう、巫女を作り出したい要請が、この社会の中にあるがゆえにそんなジャンヌダルクのような存在が、時に求められるような。とにかく人が伝えようとするメッセージは、糾弾と言う形ではなかなか届かないものだと、思ってしまうのです。

 

 

________________________

 

5、私も一言

 「自転車をリペアする」

  さんざクロス

f:id:holidaynisigaoka:20200218111752j:plain

自転車のリペア



職場の若い男性陣が、自転車を手に入れてサイクリングでもしようとのアイデアがあり、そのために安いロードバイクを手に入れようとかレンタルで借りようかと盛り上がっていましたので、そんな機会があるなら私もちょっとだけ一緒に走ってみたいなと思ったのです。

 

私も40年ほど前に、ちょっとスポーツ用の自転車を手に入れたことがあって。でも何年か乗ったのちは倉庫の奥にしまいこまれてしましたので、使えるかな?と半信半疑でそれを引きづり出してみました。もう埃まみれで錆も浮いているし、さすがに40年という時間は半端ではないなと思ったのです。

 

実は当時、私のパートナーの分と一緒、つまり同じ自転車が2台当時購入したものですから、それがずっと大事にとってあったわけです。ただ何の手入れもせずにそのままということで。

 

どうせなら2台同時にもう一度手入れをしてみるかと思って出してみました。もうタイヤなどはボロボロ。とにかくゴムなどの柔らかい部品は全滅です。ワイア類も錆びて強度が落ちているでしょうし、使えるようにするにはかなりな部品の入れ替えをしなくてはなりません。

 

そこで自転車屋さんに行ったんです。スポーツ用の自転車の専門店、宇都宮市オリオン通りの東側出口にある「カントウ」というお店です。他にもこの「カントウ」さんの支店の「自転車の杜」というショップがありまして、そこには色々部品が揃っているということでした。

 

そこにいって周りを見ると、私が知っていたスポーツ用自転車がなんだか大きく様変わりしているんです。一番気になったのはタイヤが全く別な雰囲気なんです。これには戸惑いました。私の自転車で使っている中空タイヤ(チューブラ)ではないんですね、明らかに。思わず「このタイヤは一体なんなんですか?」と店員さんに聞いてみました。こんなタイヤ見たこともないのだと。

 

すると約10年ほど前に、こういうアマチュア自転車趣味用の規格が、大きく様変わりしたということなんです。パンクしにくくそれでいてしっかりした軽さと強度を持つタイヤを中心とした規格に。タイヤの径やギヤの厚さ、素材など全てが新しい思想と技術で更新したというのです。これには驚きました。

 

自転車を取り巻くものがそんなに簡単に変化するものなのかとあっけにとられてしまいました。私が使用していた自転車はもはや遠い過去のもの、ひと時代前の規格で作られたバージョンだったわけです。そのため使える部品は限られており、現在の企画のものはふんだんにショップで扱われていても、前のものはほとんどどこのも置いていないという状態でした。

 

真っ先に取り替えなくてはならないタイヤがまず無いんです。チューブラタイヤ。まあ町の中の自転車ショップをくまなく探した結果1点ありましたけど、値段は倍以上になっていました。しかし購入しないわけにはいきません、前後2本を2台分。そしてブレーキシュー、ワイヤーはまだそのまま使うとして、40年でついたほころと汚れを落とさなくてはならないのです。とにかくそうやって自分なりのリペア作業を始めました。(続く)

 

 

________________________

 

6、私も一言

 「シニア的風景」

  六花ビリー

 

矢沢永吉さんも70歳になったということだ。それでも「永ちゃん、今日もノセてくれるだろ?」というオーディエンスの声に、「もう歳だから静かに歌わしてくれやとはいえねーだろ?後先考えずに飛ばすだけさ」、と突っ張り方は変わらない。しかし新しいアルバムタイトル「いつかその日が来る日まで」という言葉にあるように、彼もまた、この状態が永遠に続くとは考えてはいない。

 

栄養が行き渡っていたためなのか、平和な時代が続いていたためなのか、一時代前の70歳と現在の70歳は、これは当人たちにも予想外に異質な状況を味わっている、ある種の驚きをもって。俺たち確かに年食っているんだよな、そう呟かずにはいられない、なんだか騙されているような不思議な感触に包まれているのだ。

 

まるで「人生」というものがなかったみたいに、青春がそのままただ劣化し疲労し、それでもまだ鈍い光を保ったままシワだけが増えていくような。細胞の水分含有量が減っているだけのようなその様。時と共に何か生命力が展開してゆくのが人生だったのじゃなかったの?これじゃあまるで棒のように、ただ時間だけが過去から未来に向かって、打ち上げ花火のように。

 

これは本当のことなのか、自分は夢を見ているのじゃあないのか、こんな風に、こんなに、シニア時代を謳歌してしまっていいのだろうか。その嬉しい誤算に戸惑っているのが、この世代なのだ。そんなにうまくいくはずがない、人生は皮肉でいつも「やっぱりね」というオチがついているものさ。そうだろ?と言いながら、それでもこの時間を味わい尽くしたい、場違いに覚醒した野心がまだうごめいている。

 

とにかく「まだ夢は終わらない」、ということなのだろう。互いに嬉しい誤算を楽しもうかという矢先、矢沢さんの予定していたライブが、体調の不良とともに一つ中止となってしまった。こればかりは意志でどうにもならない時の流れなのだろう。

 

 

________________________

 

7、シネマフリーク

 「オデッサファイル」

  シネマ二郎

 

f:id:holidaynisigaoka:20200218112140p:plain

オデッサファイル

何かと話題を振りまいているアンジェリーナ・ジョリーのお父さん、ジョン・ボイドがまだ若い青年役で出ているのがこの作品です。ジョン・ボイドはそのほかにも、私に衝撃を与えた、ジョン・ブアマン監督作品「激流」でも中心的な役を担っていた当時若手の演技派です。

 

この「オデッサファイル」はフレデリック・フォーサイス原作、なかなか怖い作品でした。第二次大戦が終わった後も、秘密結社のように社会から隠れながら増殖するナチス崇拝の裏組織。かつての組織がそのまま生き残って当時が賛美されており、新たにその勢力の復活を企てているのです。そのことを知ったフリーランスの記者が、組織に紛れ込んで真相を暴こうとするのですが、いかにも、今でもそんな組織がしっかりと根を張って生き残っているのではないかと思わせるのです。そのメンバーが記されているのがこのオデッサファイルです。

 

ただ制作された年代は、アクション映画のリズムも随分ゆったりしていたものだと感じます。現在のアクション作品のテンポは早く、これでもかのネタがぎゅうぎゅう詰まっていますから、それとつい比較してしまうのです。現在同じモチーフで作品を作ったら、ここはこんなゆるい展開になるはずがないという突っ込みどころがあちこちにあるのです。

 

とにかく、ナチス時代を賛美する人たち、現在のネオナチ組織など、社会はとても一色に染まることのないモザイク模様、様々な思惑を持った人たちが何を企てていたとしても不思議ではありません。世界を騒然とさせた「イスラム国」など、現実は小説より奇なりの出来事は尽きません。

 

そんな不気味さがこの作品の持ち味です。ストーリーそのものよりも、そういった現実の可能性ゆえの怖さです。

 

 

________________________

 

8、時計仕掛けのりんご

 「美空ひばりを蘇らせる技術」

  鈴木義延

f:id:holidaynisigaoka:20200218111827p:plain

DTM機材



半年ほど前、昨年9月頃だったと思いますが、NHKの特集番組で、現在の音響技術と映像技術を使って、美空ひばりに新しい曲を歌わせようという企画が行われ、その作品と制作に至る経過が放映されました。今のデジタル技術の粋を集めた壮大なフィクション、それはそれで感慨深いものです。

 

初音ミクが登場して音声合成技術がかなり高度なものとなり、そして現実のバンドに合わせてホログラム映像がシンクロして舞台に投影されるライブも定着しています。初めてYouTubeでその様を見た時も驚きました。ついにここまで来たかと、フィクションとリアルが自然に融合する様に楽しい驚き、「未来」を感じたものです。

 

世の中には類まれな個性と能力を持った人がいます。しかしどんな高い能力を持っていても、どんな財産を抱えていても、どれほどの人気を得ていたとしても、人生は有限、永遠の命を手に入れる人はいません。彼らが逝ってしまった後の世界。ぽっかり空いたその人が占めていた場所、その喪失感。悔しい思いを捨てきれない残された人々の思惑、それが「死者を蘇らせる」という禁断の欲望を燃え上がらせてしまうのです。

 

現在朝日新聞土曜日版には、手塚治虫のライフワーク「火の鳥」の続編が、他の人の手によって生み出されていますし、「ミレニアム」という世界的なベストセラー作品を生み出したスティーグ・ラーソンの作品も、別な書き手によって、まるで彼がまだ生きているかのような創作が行われています。李小龍の影武者、エルビスの影武者。

 

心奪われて、もっともっと彼や彼女を知りたい、もっと濃密にその存在を味わいたいと思いながらも彼らは去ってしまいました。そのやり切れなさ。その持って行きようのない感情がフランケンシュタインのように、新たな技術で強引に蘇らせたい思惑になっているのでしょう。想像力の助けを借りての蘇りです。

 

実現したフィクションとしての「美空ひばり」に関しては、歌やセリフは良かったのですが、その姿が、亡くなった当時のままなのがちょっと物足りませんでした。あくまで彼女も同時に歳をとり、もうちょっとおばあちゃんになりながらもあくまで美空ひばりであり続けているように、作って欲しかったのです。あれではまるで私たち観衆だけが歳をとってしまったような、辻褄が合わなくなってしまっているのです。

 

むしろ歳をとらせてあげたかった、私もいつまでも女王ではいられないんですよと、彼女の口から語って、そして老いた姿で笑って欲しかった。生きのいい姿が見たいわけではないんです。どんなに歳を取ってもきっと彼女は美空ひばりであり続ける、そんなフィクションを見たかったのです。どうせなら。

 

これからこの手の試みは色々行われていくことでしょう。そういえば尾崎豊の子供の歌う尾崎豊の歌は、その声ゆえに耳を惹きつけるものがありました。やはり人間そのものには変えられません。人工的には作り出しようがないのではないかと思わせます。それはそれで、子供にとっては重たい期待ではあるでしょうが。

 

 

________________________

 

(編集部より)

●原稿募集のお知らせ:編集部では常時生活身辺雑記、おすすめお店情報、便利グッズの紹介、短歌、俳句、ポエム、エッセー、コラム、随筆、趣味自慢、ペット自慢、家庭菜園アイデアなど、雑多な原稿を募集しております。窓口担当(3西:鈴木)までメール、メモ書き、口頭などでお知らせください。

 

●掲載に関しては、当院職員、当院利用患者様、およびその家族、または一般市民に対して常識的なモラルを守ること。適切なプライバシー、個人情報取扱の管理、業務上知り得る医療情報の守秘義務厳守を条件としています。

ホリデー西ケ丘 vol.138

f:id:holidaynisigaoka:20200124085027j:plain

宇都宮西ケ丘病院職員文芸部活動ブログマガジン

 

ホリデー西ケ丘 Vol.138

 

●夜明けのアヒル(編集部)

当院ホームページの一角で活動させていただいている「文芸部職員活動」のブログマガジン「ホリデー西ケ丘」。9月のネットワークシステム変更に伴う事情から約5ヶ月間中断を余儀なくされていたのですが、新たな設定を模索しながら再開することとなりました。

 

数ヶ月というこの時間に、日本列島は二度の雨台風で未曾有の経験をすることになり、今や日本のどこにいても災害からは逃れられないのではないかと思ってしまうのです。もとより日本の国土は地球規模のプレートがせめぎ合うホットな地勢にあり、それゆえの自然の恩恵を豊富に受けているわけですが。

 

形あるものは全て消えてゆく。流動し変化変質し元に戻ることはなく去ってゆくもの。その深い諦念を抱えて日本の精神世界は育まれてきました。諦めの良さといいますか、どこかで癒されない痛みを受け入れる資質があるように見えるのです。決して恨んでいないわけではないのですが、お天道様のすることにケチをつけても始まらない、せめて「人災」は極力減らしていってほしいと願うばかりです。

 

 

ーーーーCONTENTSーーーー

 

1、スイーツは私にお任せ

 「タピオカブームを楽しむ」

  CoComama

 

2、私も一言

 「かぐや姫伝説」

  カーマイン神山

 

3、ボルダリングレポート

 「自己暗示」

  炭酸まぐねしゅうむ

 

4、私も一言

 「心の旅」

  春夏秋冬

 

5、私も一言

 「同窓会の終わり」

  さんざクロス

 

6、音楽の話

 「楽譜を読む」

  アンサンブルYISI

 

7、シネマフリーク

 「タランティーノ監督作品」

  シネマ二郎

 

8、時計仕掛けのりんご

 「好奇心?」

  鈴木義延

 

 

 

________________________

 

1、スイーツは私にお任せ

 「タピオカブームを楽しむ」

  CoComama

 

f:id:holidaynisigaoka:20200207133325p:plain

食感というのはなかな侮れないですよね。おせんべのガリガリした脳に与える振動、ソフトクリームなら舌の上で徐々に溶けてゆく感触。食材にはそれどれ独特の歯ごたえ、舌ごたえ、口腔内でのいろいろな刺激があります。味の変化はいうまでもないことですが、この、口腔内での振る舞いもまた新しい食材がブームを左右しているようです。

 

最近私が気になっているのは他でもありません「タピオカ」です。おしるこに入れる白玉にちょっと似ているかな、こんにゃく?独特の弾力が魅力です。ブルーベリーよりちょっと小さいその大きさもいいですね。これをいろいろな食材、主に甘味系の飲み物などに入れてその味と噛み応えを楽しむのです。材料はキャッサバというお芋の一種で、それがいくつかの工程を経て加工され商品になるということです。

 

噂の食材は、美味しいと言われる商品は、できるだけ一度はチェックしないと気が済まないのが私!この感触も最近のマイブームです。

 

 

________________________

 

2、私も一言

 「かぐや姫伝説」

  カーマイン神山

 

f:id:holidaynisigaoka:20200207133343p:plain

時折わけもなく月の姿に見入ってしまうことがあります。十三夜とか十五夜とか、満月の日にはどこか神秘的な、というかなんだか不気味な魔力がそこから放射されているような、真っ白くて大きなその存在に見入ってしまうのです。

 

人の命のリズムは月の存在を抜きにはできません。潮の満ち引きを起こさせる重力の微妙な増減は、私たちの命の営みに大きな周期を与えているのは遺伝子レベルでの刻印です。サンゴ礁では誰がタクトを振るわけでもないのに、満月の夜に一斉に産卵する様は、月と命の不思議な関係を目の当たりにするような出来事です。

 

そんな月にまつわるお話で、幼い時から不思議と思って聞いていたのが「かぐや姫」のお話です。これは各地で少しづつ違ったストーリーで伝承されているらしく、童話にまとめられているのがオリジナルというのではないようです。宇宙人説?そうでした、かぐや姫は月の住人で、最後には月に帰っていってしまうのですね。

 

「嫁さんにしたい」という男性方に無理難題を与えて翻弄し、最後は「地球の男には飽きた」と言わんばかりに帰っていってしまう。これって何?若気の至りのタカビーな嬢王様キャラの展開?

 

人生は妥協!そうしないと何にも進みませんよとアドバイスしてあげたい。いくら嬢王様になっても、プライドだけでは心は満たせないのではないでしょうか。月にはそんなお姫様を満足させる殿方が控えているのでしょうか。とにかくなんだか消化不良のお話でしたね。でも月はそんな幻想をいろいろ抱かせる特別な何かです。

 

 

________________________

 

3、ボルダリングレポート

 「自己暗示」

  炭酸まぐねしゅうむ

 

f:id:holidaynisigaoka:20200207133404p:plain

ボルダリングをやるようになって、毎回つくづく思い知ることは、自分を縛り続けているものは自分の思い込み、自己暗示なんだなということ。「これは俺には無理だよ」「絶対あそこまで飛びつけない」。

 

普段の自分の力からすれば、格上の課題は常においらを拒絶し、お前のレベルはそこまでさと、まるであざ笑うかのようにそこに冷たく存在している。結局それはただの幻影、あるのは物理的な印だけなんだけど、それを設定したセッター(課題をセッティングする専門職の人)たちの力と思惑に、自分は想定されていないのだなという孤独感さえ感じるんだ。「お前なんて相手にしていないよ」と言われているように見えるときもある。無論それらは全て自分が作り出した虚像なんだけどね。

 

実際自分の今の握力ではこのピンチ(小さなつまむようなホールド)は掴めない。こんな傾斜のあるところで体を支えきれない。足をかける場所がないのに次に移動できない。全く取りつく島もないという失望にとらわれることがよくある、というより常にそんな感情にさらされて、自分の力の限界をなぞるのが、このボルダリングでもある。力の有限性に落胆し、そしてどうするかがまあ楽しみ方でもあるのさ。

 

そして毎回のことなんだけど、まずは自分がゆとりでできる課題を一通りやり、ちょっと気合を入れなければクリアできない課題をその次に何コースかやり、それでもまだ体に余力が残っていると感じる時に、自分の上の課題、自分がまだクリアできていない課題に取り組むわけ。でもその最後の課題の扱いは、いつもそう単純じゃない。

 

何と言ってもまず気力、今日はやってやるぞ!という気合がなければ、体力的なゆとりがあってもチャレンジする事はない。体力的には、だいたいおいらは夜勤や遅番以外の日は毎日ジムで時間を過ごしているから、いつも疲労している、と言えるかもしれない。適度な休息が筋力を発揮するスポーツには必要だとはよく言われることさ。

 

実際二日ほど休んだ後は力がみなぎっているというか、腕の筋肉にパワーが湧いてくる感じがあることもある。毎回じゃあないけど。

 

でもそれより、今日はトレーニングしようかどうかとか迷う時間を作りたくないのがおいら的やり方。スポーツはそんなフィジカルトレーニング理論がどうたらという以前に「毎日やること!」、常にそれを最優先させるのが、おいらが馴染んでいる自分なりの方法なのさ。四の五の言わずにやり出したらやる。疲労だとか理論だとかは、もっと極限的に上位の人たちに求められるスキルであって、おいらレベルの初級、中級者は、いかにやり続けるかということの方がよほど大切なんだと思っている。

 

日によってやらない理由を探すようなアプローチには興味がないのさ。いかにその競技を好きになるか、好きにならない限りそこで見つけられるものはそれだけのもの。自分の力はさておいて、そこにどれだけ強く求める気力と想像力があるか、それによってそこから汲み出せる思いや知見は全く違うものになると思えるのさ。「下手の横好き」がおいら的な方法論の真髄なのね。それなので、時間さえあれば常に、毎日、というのがごく自然な前提となってトレーニングを継続している。「今日は一体どんな発見があるだろう!」。

 

そこで「自己暗示」なんだけど、そういうやり方で常に自分ができないことを突破するための針の穴を、探しているわけ。それが見えたり見えなかったり、別のアプローチのアイデアが湧いたりするのは、その想像力の足かせになるのが、「自分には無理だ」という悲観的な思い込みなんだ。何かのタイミングでその「無理だ!」という思い込みに「?」がついた時、急に目の前の風景が違って見えたりする。「行けるかもしれない」という小さな希望が胸に灯る時、力ってのは湧いてくるものなんだ。

 

少しづつ、少しづつ、そうやって自分の殻を一枚一枚剥いで行って、ようやく今5級から4級の課題が半分くらいできるようになってきた。自分には絶対無理!という自己暗示は、それを自分から崩すところにこのスポーツのキモがあるんだなと、思うわけ。まあそういうこと。

 

 

________________________

 

4、私も一言

 「心の旅」

  春夏秋冬

 

f:id:holidaynisigaoka:20200207133425p:plain

誰でも子供の時に、ストーブや使用中の調理器具に触れて「熱い!」という体験をしたことがあると思います。手にやけどをして辛い時間を過ごしたことでしょう。何日にもわたることもあります。これは火傷などに限らず、手を切ってしまったり打撲したり骨折したり、「だからこうしてはダメ!」という認識を体が否応無く刻みながら、人は成長してゆくのです。

 

アメリカ社会でのニュースに、お父さんの机に入っていた銃で遊んでいた子供が兄弟を撃ってしまった、などの事故が伝えられることがあります。なんて愚かなと思っても、それはその社会の常識から生まれたエピソードですが、火傷や打撲とは桁違いのリスクをそんな社会は内包したまま特に対策も取られずに営まれているようです。

 

こういった体の苦痛でしたらわかりやすいのですが、心の苦痛は他者からは見えにくく、また自分でも自覚しにくいものでしょう、トラウマという心の傷です。失敗体験、これも体の傷のように、普通の社会生活をしていれば頻繁にさらされるわけです。

 

それで、自分の日々の行動を規制しているものはなんなのかしらと思うことがあるのですが、自分は思った以上に自分で自由に選択しながら過ごしているのではなく、むしろ「こうしたらダメ」「ああしたら辛い」というような、踏んではダメ地雷が想像力の中にたくさんあって、無意識に迂回しながら物事を考えたり選んだりしているんだなと思うのです。

 

あの新しい食材を食べたことはあるけど美味しくなかったわ、今度も噂の新食材紹介されたけど手にしないでおきましょう、というように。

 

自分の中にそういったたくさんの「これをしてはダメ」的な記憶の蓄積がたくさんあって、つまり失敗の記憶がたくさんあって、それがいろいろなアプローチの道筋を方向付けしているのだなと思うのです。なぜ自分はこれを選んだのだろうということと同時に、なぜ自分はあれを選ばなかったのだろうという、無意識の自分の恐れとこだわりを想像して。するとそこには自分が封印していたような別な記憶が蘇ってきたりするのです。毎回というわけではありませんが。

 

それにしても脳細胞というものは、何十年の記憶を、実はほとんどすべて記録しているのではないかと思うくらい、メモリーの容量は大きいのではないかと思うのです。残しておく記憶と消去してしまう記憶は毎日眠りの段階で選別されているらしいのですが。

 

とにかく、自分の行動を左右しているのは、意識している「物事」と同時に、意識していない「個々の苦痛な記憶」が関与しているらしいと、時々暇なときはちょっと立ち止まって自分を省みるようになったのですね。だからどうなったというわけではありませんが、これは自分なりの「インナートリップ」、気分転換、心の旅なのです。

 

 

________________________

 

5、私も一言

 「同窓会の終わり」

  さんざクロス

 

f:id:holidaynisigaoka:20200207133442p:plain

例年年の瀬には、同窓会のお知らせが中学、高校とやってきました。そして中学の同窓会には「これが最後の同窓会となります」と書いてありました。

 

シニア世代も後半となると集まりも悪くなるというより、遠い過去を肴にして楽しめる時間というものが徐々になくなってきたのだと思い当たるのです。あの時のあの出来事、あの人の変貌とあの驚き、など、過去をなぞり現在との落差を楽しめるのは、お互いがまだそれなりに美しい中年期、ミドル世代時期までの感性なのだと。

 

いうまでもありません、シニアも後期になると過去よりも未来、残り少なくなった未来とそれに伴う最終的な肉体的、人間関係的、そして経済的激変期への準備に関心のほとんどが奪われてゆくのです。今更過去に想いを馳せてもそれはもうあまりに遠く、その細部はそれぞれの思い込みと装飾で過剰に変形されて、幼馴染と共有したい思い入れはできないほどに擦り切れてしまっているのです。

 

もう一度会いたいと思っていた人は早々と病に倒れ、遠い過去を振り返って、若い時代なりの思い入れや勘違いを蘇らせ、感謝の言葉を告げたいと思っていた人は私のことなど覚えておらず、それぞれが全く別な記憶の中に数十年前の時間があったことを知るのです。

 

それももう再現されることはなくなっていくんだなと、物事の始まりと終わりというサイクルを、しみじみ感じたのです。実際にその最後の同窓会に参加したのですが、仲の良かった旧友の姿はもはや見られず、聞けば闘病中だとか施設に入っているとかで参加できない現実が伝えられます。そしてどこか見覚えのある顔には語るべき思い出は見つからず、あまり豊かに展開はしそうもない、残された未来に覆いを馳せる、そんな時間に変わっていました。ここらあたりでその集まりも終わり、その知らせは皆の気持ちの中から生まれたもののようでした。

 

 

________________________

 

6、音楽の話

 「楽譜を読む」

  アンサンブルYISI

 

f:id:holidaynisigaoka:20200207133457p:plain

幼い頃から音の出るもの、ハモニカやリコーダーが好きだったのですが、それ以上どうということはなく、時折音を奏でては遊ぶだけで学生時代は過ぎてしまいました。音楽をそれなりになんとかものにしたいと思ったのは社会人になってからです。ヤマハのフルート教室に通いだしたのが20代前半、そこで初めて楽譜というものの読み方を知ることになりました。

 

楽譜というのはどうやって読むの?と常々思っていたのですが、結局一つの音の音程と長さが記された記号なのだということがわかったわけです。無論それを元にさまざまな装飾が同時に記されるのですが、ポイントは音の高さと長さ。そして強弱などを読み取るための図形なのでした。

 

現実の音をしっかり楽譜に記載しようとするととても複雑なものになってしまうので、大きな骨格が記されて、それをどう読むかをそれぞれ別に学習することになっていきました。私が知り得たレベルの読み方は実に稚拙なので、楽譜を読みながら楽器を奏でる際にはかなりな集中力が必要になります。もともと肉体化していませんから頭の中で考えながらの読み方は集中しなければすぐにエラーしてしまうのです。

 

最近になってジャズの楽譜を読みながらの演奏を練習しているのですが、ジャズの音の並びはいかに予測をはづすか、どれほど意外性をフレーズの中に盛り込むかを競い合っているようなところがあり、最初とても戸惑ったのです。なんてやりにくい音の並びなのだろうと。

 

それと格闘し、少しづつ指が反応するようになって、多少その変則的音の飛び方に慣れてくると、それはそれでなんとかこなせるようになるわけです。無論かなりリズムをスローにしての練習なのですが。

 

そうした後に、気分転換に今まで基礎のためのエチュード、練習曲やクラシックの小品を眺めていると、クラシックの楽譜はまるで数学科シンプルな図形のように、きっちり構図が引かれ、そこから展開し変化し終章に向かうまでの、なんと整合性のある、美しい展開なのかと感心してしまうのです。つまり読みやすく吹きやすいのです。

 

それなので最近はクラシックの曲集も手に入れて、ジャズの練習で疲労してしまった後は気分転換に奏でるのですが、その練りに練られた、才能ある作曲家が苦労の末作り出した音符の並び方にうっとりしながら、なんだかとても癒される数分となるのです。自分が無理やり作り出すアドリブの稚拙さが嘲笑られているかのようです。

 

 

________________________

 

7、シネマフリーク

 「タランティーノ監督作品」

  シネマ二郎

 

f:id:holidaynisigaoka:20200207133509p:plain

現在「ワンス・アポンナ・タイムインハリウッド」という新作プロモーションのために、頻繁にメディアに登場しているタランティーノ監督。私もつい一週間ほど前、休日に気分転換にビデオ屋さんにゆき、何を借りようか迷った挙句、いったい何度見るんだ?というように「キルビル」の1、2を借りてしまいました。

 

そして夜も10時頃、ちょっと寝る前にあの衝撃的な導入部などをちょっと見てみるかな、とスイッチをいれてしまうとズルズル。結局それから4時間強、朝は6時に出勤の準備を始めなければならないというのに見てしまいました。翌日は寝不足での勤務、まるで夜勤の翌日状態で仕事です。

 

そうならないように注意していても、もともと嫌いじゃないですから、映画が始まると我を我を忘れてしまうのです。つい最初から終わりまで全部鑑賞してしまいました。面白かったですね。ほんとタランティーノは天才!と言いたくなります。文法が、とにかく独特のノリと温度。

 

また「パルプフィクション」が見たくなってしまいました。いや「ジャンゴ」にするか「レザボアドッグ」にするか「イングロリアーバスターズ」にするか、迷うところです。休みが二日続くような日があるなら全部借りてきて丸々二日みるってのもいいですね。

 

 

________________________

 

8、時計仕掛けのりんご

 「好奇心?」

  鈴木義延

 

f:id:holidaynisigaoka:20200207133549j:plain

歳を重ねてくるとどうしても活動する範囲が狭まってくるという印象があります。若い時代にはあれもしたこれもした、どこにも行ったあそこにも行ったと。元気な若者はバックパック旅行、世界をその身一つで歩き回るというスタイルもあります。

 

私も若い時代に多少アジアのいくつかの国に旅行したことはありますが、数日から数週間という滞在で得られる知見はたかが知れており、そこに住んだりなんらかの活動に具体的に関わらない限り、ただ通り過ぎただけという印象からは逃れられませんでした。いろいろな世界があるなと漠然と眺めただけですから、それが血となり肉となるような経験には程遠かったと思います。

 

功なり名を遂げた人たちが異口同音に語る言葉に「好奇心」というものがあります。あれはどうなっているのだろう、これはどうしてこうなのだろうと刺激を受けると起動する知の欲望は、その後の人生的経路を決定づける起点となるようです。そしてそれをどれだけ新鮮な視点で維持できるかが重要だと語られます。

 

ソニーや本田を世界的な企業にした創業者たちの姿はそれをドラマチックに表していますが、人が生きる上での「好奇心」は、量的な差異はあれ誰にでも備わっている資質なのでしょう。それゆえに教育システムは成り立っており、学びたいと欲する人たちが生み出すその後の活動は、常に熱気を帯びた積極的なものとなっています。

 

ところが中には、この「好奇心」というものがあまり感じられない人というのもいます。特異的には全くこういった欲望が生まれてこないという人もいるようです。生きる意欲すら積極的に持てないという資質、その状態は心の病と言われることもあります。

 

「好奇心が大切だ」、「生きる意欲をもっと強く持て」と他者が求めても、それらは自発的に動き出さない限り他者が手を出せる種類のものではないようです。その好奇心を前提とした教育や他者、社会と関わることの醍醐味は、知りたいという欲望がない限りただ通り過ぎてゆく風景としか感知されず、経験の蓄積にはつながりません。それでもこれに刺激を与えたり育成することは可能なのでしょうか。

 

境界領域にある状態ならば、何らかのきっかけでそれが活性化してゆくということはあるかもしれません。教育の機会がなかった、貧しい環境だった、それどころの状況ではなかったという日々が続いたために抑圧されてしまった好奇心というケースなど、故郷を追われて流浪する難民の人たちには好奇心や教育など遥か遠い贅沢な課題と写るに違いありません。

 

しかし平和で豊かな日本の社会の中でも、いくら周りに学ぶ機会や刺激を与え続けるシステムがあっても、こればかりは操作しにくいもののようです。これはもとより誕生と共に心にセッティングされた資質としか言いようもなく、後天的にトレーニングでどうこうなるようには思えないのです。最初から差異は刻まれてしまっているのです。

 

創作意欲を失ったしまった作家が覚醒剤幻覚剤に手を出すというのは、その欲望がどれだけ大切かを知っており、そしてそれが失われたことへの絶望が逸脱行為に走らせるのかもしれません。他者に世界の魅力を先立って提示する創作者たちは、人一倍そんな資質が旺盛でなければ維持できないものだからです。しかし薬品の作用でそれは取り戻せるものなのでしょうか。つかの間の幻影は他者に驚きとともに伝えられる表現として結実するのでしょうか。

 

まあそれはいいとして、シニア世代になるとよく語られる標語として「好奇心を維持すべし!」と喧伝されるわけですが、それはいってみても始まらない、好奇心を持てる人は元々持っている人で、掛け声をかけなければ動こうとしない人は、いってみても結局「無駄!」でしかないようです。

 

シニア世代の行き方は「なるようになった」以外のスタイルはあり得ず、その状態は問いではなく答えなのだというしかありません。今更生き方とたどり着いた人生の日々は変えられないのですね、「好奇心を旺盛にして精神的にも充実した老後を作ろう」などと標語を振りまいても、現状を変革するような力になるとは思えないのでした。

ブログマガジン「ホリデー西ケ丘」を再開準備中です。

 

稼働できるようになりましたら、以後よろしくご利用ください。

 

よろしくお願いいたします。

 

 

編集部:夜明けのアヒル